プロフィール

私のお金の経緯

資産運用

私は母子家庭に生まれました。家は母と祖母でお店をやっていました。中学校の頃には、高校を出て働く事を決めていました。

工業高校を1983年に卒業して、自動車関連会社に就職。自宅から通っていました。

入社後、貯金の利子6%の時代(18才~)

家が裕福ではなかったですが、実家生活でお金は入れなくて良いといわれ、自分のお小遣い以外は全て貯めることができました。

会社入社時は、大きなお金(15万位円)が怖くて、使うお金を月数万円と決めて、忙しい毎日の中で残業で給与を稼ぎ、残りは全て貯金。

バブル崩壊前で当時は社内預金も利子が6%程度あり、釣り、バイク等趣味を楽しみながらも、年2回の利子もボーナスに近い金額になり、お金が増える喜びを覚えました。

年収は300万円以下でも年150万円以上は積立てたと思います。

1990年バブル崩壊で株式投資へ(25才~)

バブル崩壊と共に預金金利も下がってきて、預金以外のお金の居場所を探し始めました。

そこで見つけたのが、株式投資。最初は社内の持ち株制度です。会社の株を給料引落で買うことができます。自分が買う金額の10%を会社が追加してくれます。それだけでも単利10%の効果があります。但し、基本給の15%が最大で常に15%を購入していました。

実は入社当時から始めていて、この頃には単位株以上(200万円以上)持ってましたが、株価の上下は意識していませんでした。

持ち株会という組織?で管理してますが、単位株以上になると幹事会社?の野村證券に口座を作り単位株を移し、市場で売買できます。野村證券で口座を作り株の売買を始めました。

最初の株は会社の株1000株(当時は単位株1000株)約200万円程度からです。

当時はまだネットでの株取引は無くて、最初は野村証券に専属の担当者がついてその人と電話のやり取りで株取引です。野村證券の口座に少しづつ貯金を移し、合計1000万円位で4~5社程度を売買してました。

1995年結婚(30才)

結婚して、奥様がお金の管理に興味が無い事を知り、奥様の分も含めて私がお金の管理をする事になりました。共働きでお互いの年収は500万円位。

奥様の資産と私の資産を色々整理して、お互いの月の手取りは半分づつを貯金引落にして、私は水道光熱費、スマホ代、車の保険等引落関連は全て担当し、それ以外はお小遣い。奥様は残りのお金で食費、日用品と自分のお小遣いとしていました。

奥様は公務員で共済預金は年利2.5%はあったので、奥様の積立は全て共済預金に、私の積立は野村證券に入れてました。

結婚して、2~3年が過ぎた頃にお金についてもっと勉強したい思いが強くなり、ファイナンシャルプランナーの通信講座を受講しました。確か4~5万円程度で無事に資格とったら国から2/3補助が出るけど結局資格は取らなかった。

その頃からライフプラン表をエクセルで作って、毎年マメに更新するようにしました。ライフプラン表を更新していくと、自分が定年(65才)まで働く必要の無い事に気づきます。もちろん順調に金融資産が増えればという条件付きです。

この頃から、早期退職(アーリーリタイア)を意識し始めました。

2000年ITバブル(35才)

工業高校卒業のエンジニアだけあって、元々パソコンが好きでパソコン通信とかインターネットとか早くからやってました。

インターネットのYahoo Japanをソフトバンクが買収した事等を切っ掛けに、ソフトバンクの孫正義さんを尊敬しており、早いうちからソフトバンクの株を持っていました。

また、孫正義さんの弟がソフトバンク系列から上場(ガンホー)することをしり、野村證券の担当者に早いうちからIPOを買えるようにお願いしていて、何とか1株(1株120万円)を購入。公開→分割で売り抜けソフトバンク共々結構儲けさせて貰いました。

2007年リーマンショック(42才)

ITバブルが落ち着いたころ、株価に振り回される生活に少し疲れ始めていて、ほっておいて増やせる投資先を探し、利回りのいい外貨債券、豪州リート投信、米国リート投信が投資の半分を占めていた頃に、リーマンショックが起きました。

億り人が見えてきたと思ったらあっと言う間の下落相場。1週間で金融資産が半分になった記憶があります。その頃は金融資産の8割位を投資資金に回していたため、ダメージは大きかったです。

ここで少し反省して自分なりに勉強して調べて、現金資産として自分の社内預金と奥様の共済預金は満額(共に3000万円)にすることを目標に。

残りの資産は均等に分けて、奥様の分は米国ダウの投資信託に、私の分は米国ナスダックの投資信託にNISAも始まったので、NISAも絡めて預けて長期的に増やして行くことにしました。

現金資産と投資資産は順調に膨らみ再度億り人も見えてきました。

2017年会社退職(52才)

仕事が楽しい内は仕事は続けようと考えていましたが、40代位後半から立場が上がるに従って責任も重くのしかかり、毎日午前様で、新しく来た上司との相性も合わずに会社を辞める決断をしました。

最後の年は残業代も嵩み年収は1200万円位まで行ってました。

自己都合退職なので退職金は少し少なめです。

会社の確定拠出年金はiDeco(300万円程度)に移動し、継続。

退職金の半分は終身年金として60才までそのまま。企業年金基金で年利2.5%で運用されます。60才から年60万円の終身年金の予定です。

退職金の残りの半分は現金で受領し、投資信託へ

社内預金(満額済み)は15年確定年金として、私が67才まで毎月18万円位受領。奥様が65才まで働くみたいなので、それまでの生活資金として使用予定?

ここ最近、金融資産の見直し、支出の改善を開始し継続中。

以上がこれまでの私のお金の経緯です。

ABOUT ME
どんぐり小僧
52才で会社退職し、「悠々自適なリタイア生活」を目指して日々のんびり考えながら暮らしています。アーリーリタイアのための情報、悠々自適なリタイア生活のための情報を発信していきます。